『ルイ・ブライユ(Louis Braille)』。
皆さんご存知ですか?
恥ずかしながら私は全く知りませんでした。
Yahoo!が展開している子供向けポータルサイトの「Yahoo!きっず」の2014年のきっず検索で‘‘注目された人物‘‘ランキングで‘‘嵐‘‘や‘‘聖徳太子‘‘、‘‘徳川家康‘‘を抑えての堂々の第2位!
ちなみに2013年はどうだったかというと、同じYahoo!きっず検索の人物ランキングでは総合1位。(2位~5位は、織田信長、AKB48、嵐、聖徳太子 の順で並びます)
織田信長や嵐・AKBと同じかそれ以上に子ども達がバシバシと検索をかけるほどの人物。
ますます「誰ですの?」って感じですが、実は現在世界で使われているタテ3点×ヨコ2列の『6点式点字』を考案したフランスの偉人です。
なぜ小学生が「ルイ・ブライユ」を検索するのか?
そもそもなぜ子ども達がこれほど検索をかけるのか?ということですが、答えは・・・、
小学4年生の「国語」の教科書に『点字』に関する学習があるから。
そしてこの学習の時間の中では、点字だけでなく、一般社会での目の不自由な人たちとの関わり合いなどを自分たちで調べて・まとめて・発表するという学習になっているということで、そのなかで点字を考案した「ルイ・ブライユ」を調べていたんですね。
ルイ・ブライユの経歴
1809年1月4日、フランスのクプヴレという小さな村に生まれます。
3歳の時、職人の父親の工房で遊んでいる際に、錐(キリ)で誤って目をついてしまい左目を失明。
その後感染症による病気で5歳の時に全盲になる。
成長してパリ盲学校へ進み、そこでフランス軍の砲兵(ほうへい)士官だったシャルル・バルビエ(Charles Barbier)が考案した12点式の「軍用読字」(12点式点字)に出会います。この12点式点字はもともとは夜間に命令をで伝達する暗号方法として用いられたものです。
ルイブライユはこの12点式点字を習得し、盲人でもより読みやすいようにタテ3点・ヨコ2列の6点式に改良。アクセント・句読点・略字・数字・音符の書き方を合わせ、1825年、16歳の時に『6点式点字』を完成させます。
パリ盲学校を卒業後は同校の教師になり、1852年43歳で肺結核で亡くなるまで視覚障害者の為に活躍。
クプヴレ村ある彼の生家は点字博物館として公開されており、今も世界中の視覚障害者たちが訪れている場所になっています。
6点式点字と日本での普及
ルイ・ブライユの考案した6点式点字は、読むことにも・書くことにも適した点字でしたがすぐに認められたわけでありません。当初は主に楽譜(点字楽譜)の表記に使われましたが、文字として広まったのは少しあとのこと。
フランスで公式文字として認められたのは1854年。ルイ・ブライユの没後2年たった時です。
その後次第に欧米各国へ普及して現在でも使われています。
日本に入ってきたのは1887年(明治20年)。
東京盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)教員の小西信八が生徒に教えたことが始まり。
その後小西は同校の教員の石川倉次にブライユの6点式点字の翻案を依頼。
石川倉次の考案した日本語の6点式点字が正式に採用されることになりました。
この採用が決まった1890年(明治23年)11月1日にちなんで、11月1日は「日本点字制定記念日」に、また石川倉次は「日本点字の父」として称えられています。
最後に
今の時代は子どもでも調べるのはインターネットなんですね。もちろん図書館などでも調べるとは思うのですが。。。
世界にはたくさんの偉人と呼ばれている人が多くいらっしゃいますが、自分の知らない人も多く存在します。
それでも子どもが知っていて大人が知らないというのも、大人としては少し恥ずかしい気持ちにもなります。
自分が小学生だった頃にこのような点字の勉強をしたのかさえ今となっては記憶にもないのですが、今の小学生が点字やそれに関わることを調べて学んで、これがきっかけで将来その子どもの中から視覚などの障害をもっている人たちに役立つ・関わりのある仕事に就いてくれると嬉しくなりますよね♪